清水寺の幕末秘話・勤王の志士を支えた漢(おとこ)たち(2011.0428)
おとぎ話の「舌切すずめ」とは無関係 屋号に冠した寺侍・近藤正慎の壮絶な最期
近藤正慎顕彰碑
月照、信海両上人が討幕運動に身を投じたころ、江戸幕府の大老であった井伊直弼は、勅許を得ないまま日米修好通商条約に調印、次期将軍を決定するなど次々に諸策を断行。そして、これに反対する者たちを、ことごとく弾圧したのが安政の大獄です。
幕府方に捕らわれそうになった月照上人は、盟友である薩摩(鹿児島)の西郷隆盛を頼って九州に逃亡します。しかし月照上人は薩摩藩からの入藩を認められず、西郷と共に、薩摩潟に入水自殺を図り、その命を落とされました。(西郷は助けられ、以後の活躍は周知の通りです)。
このとき、月照上人の友であり、成就院の執事であった近藤正慎(こんどうしょうしん)は幕府方に捕らわれ、京都・六角牢獄で月照上人の行方を問われて拷問をうけます。しかし正慎は決して白状することなく、自ら舌を噛み切り、牢獄の壁に頭を打ちつけ、壮絶な最期を遂げたのです。これが「舌切」の由来。
幼いころからの友である月照上人への絆を守り抜いた近藤正慎もまた「勤王の志士」だったといえるでしょう。
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