清水寺の幕末秘話・勤王の志士を支えた漢(おとこ)たち(2011.0428)
清水寺と上人の墓を守って誠実一筋に生きた「忠僕」大槻重助
西郷隆盛の漢詩が刻まれた石碑
「月照上人・信海上人慰霊碑」の左に建つ、「忠僕重助碑」
大槻重助の墓石は、両上人のすぐ近くに建てられています。
一方、月照上人の九州下向に付き従い、忠実に仕えた者がいました。まだ20代の若者、大槻重助(おおつきじゅうすけ)です。
月照上人の入水後、その遺品を京都に持ち帰った重助は、京都に戻った後、捕えられ、六角牢獄につながれます。そこで同じく獄中にあった信海上人と再会。信海上人は後に江戸に送られ、伝馬町牢内で病死するのですが、このとき重助は、信海から後事を託されたのです。
重助はやがて解放され、一旦は生まれ故郷に帰ったものの、再び清水寺に戻り、茶屋を営みながら、生涯、月照・信海両上人のお墓を守り続けました。
明治7年(1874)の、月照上人の17回忌の際には、薩摩で西郷隆盛から上人を悼む漢詩を託されます。現在、境内北総門の北に「月照上人・信海上人慰霊碑」がありますが、そのうち向かって右にある石碑に、西郷の詠んだ「相約して淵に投ず」の漢詩を見ることができます。
波乱の時代を忠義の心で乗り越えた重助。
顕彰碑には、西郷隆盛の弟、西郷従道による篆書が刻まれています。
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