「老と死」に向き合い今日を考える―老人ホーム同和園探訪(2012.1115)
「この世に浄土の建立を」目指して奮闘90年。
開設当初の京都養老院があった西福寺。
若き日の大西良慶和上(前列中央)。
園には古い日誌も残されています。
現在地へ移転したころの園内の様子。
昭和24(1949)年には、園内に五輪の納骨塔がつくられました。
同和園の創立は大正10(1921)年12月。当時、福祉が現在ほど社会に根付いておらず、国の制度は救貧者の対策程度。身寄りのないお年寄りや、身体の不自由なお年寄りは社会から忘れられ、ひっそりと生涯を閉じるしかありませんでした。そんな状況を憂いた京都仏教護国団によって、京都市南区西九条にある西福寺に京都養老院として開設されたのが、同和園のはじまりです。
その後、御室仁和寺を経て、現在の場所へ移転したのは昭和9(1934)年。小高い山の頂上に100名の入居者を有し、医務室を備えた施設が建ちました。そして、昭和16(1941)年に「同和園」と改称。命名は当山の大西良慶和上によるもので、「聖徳太子の『和をもって貴しとなす』の精神をもって利用者と職員の心を同じくし、この世に浄土を建立したい」という意味が込められています。
太平洋戦争、高度成長期、バブル崩壊...時代は流れ、高齢化が進む日本の中で、同和園の規模はどんどん拡大していきました。
2012年現在、養護老人ホーム、特別養護老人ホーム、ショートステイ、デイサービス、通所介護施設など合わせて525名の方々が利用される大規模な総合老人福祉施設となっています。
そして2000年から10年計画で始まった園内の改革は、建物の新築、大規模リニューアルのほかに、全面的な組織の見直しも行われ、これまで以上に入居者の状態や個性を細やかにくみ取ったケアができるようになったそうです。
開設以来、変わらぬものは、「慈悲の実践の場」、「ともいきの場」であろうとする精神。「肉親が入っても、将来、自分が入ってもいいと思える施設」づくりに加え、かつてのお寺が地域コミュニティーの場であったように、同和園は地域ぐるみで高齢者を支える存在になるべく、次のステージへスタートを切っておられます。
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