平成によみがえった都の霊場巡り「洛陽三十三所観音巡礼」(2013.0425)
歴史に埋もれた霊場巡りの再興は、まさに観音さまのお導き。
お話を伺った東向観音寺の上村副住職(左)と、椿寺 地蔵院の伊藤住職(右)。
第三十番札所 椿寺 地蔵院。名高い「五色八重散り椿」と桜が境内を美しく彩ります。
第三十一番札所 東向観音寺はしだれ梅が見事。
お寺に残る石碑も再興の重要なきっかけに。
京都市内、北は今出川通りから南は九条通りまで、西は西大路通りから東山の麓までの範囲に立つ33の寺院と、そこにお祀りされている観音さまを拝んで巡る「洛陽三十三所観音巡礼」。
当山の本堂、奥の院、善光寺堂、朝倉堂、子安の塔を含む泰山寺が札所であり、当ホームページでも紹介しておりますが、この「洛陽三十三所観音巡礼」が、平成に再興されたものであることはご存知でしょうか。
今回のよだん堂は、平安時代に起源をもち、数度の衰退を経て、平成17年(2005年)に百数十年の時を経てよみがえった霊場巡りについて、その再興に尽力された東向観音寺の上村副住職と、椿寺 地蔵院の伊藤住職から伺った再興当時のエピソードを交え、ご紹介しましょう。
「洛陽三十三所観音巡礼」は明治の神仏分離令によって廃れ、寺院それぞれに古い石碑や古文書は残っていたものの、札所同士の交流も長らく途絶えていました。
その切れてしまった縁を再び結びつけたのは、椿寺 地蔵院に保管されていた古い資料。
伊藤住職と、もともと古い文献を調べることがお好きで「洛陽三十三所観音巡礼」に興味をもたれていた東向観音寺の上村副住職、城興寺の上原住職は、この記録から現存する寺院を調べ、同じ宗派や知り合いをたどって、当山を含む各寺へ声がけを始められました。
これが再興への第一歩となり、賛同する寺院が徐々に拡大していったのです。
お三方は、宗派も違い、たどるつてもない寺院へは、なんと"アポなしの突撃訪問"をされたのだとか。
あるお寺では、まだ何も話していないにも関わらず「"洛陽"ですか?何かしたいと考えていました」と即答いただくなど、うれしい驚きも。
以前から檀信徒さんたちに再興を望まれていたお寺や、独自で調べていたというお寺も多数あり、この好機の到来は「まさに観音さまのお導き」だったと、お二人はおっしゃっています。
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