平成によみがえった都の霊場巡り「洛陽三十三所観音巡礼」(2013.0425)
古事を優先するか、33を満たすか...観音さま故の問題。
第十番札所 清水寺善光寺堂のご本尊「如意輪観音像」。
平成17年4月4日の復興法要。全33の札所の僧侶が本堂に集いました。
第一番札所は六角堂 頂法寺。生け花発祥の地として有名です。
第十四番札所 清水寺泰産寺。子安塔は2013年春に修理が完了したばかり。
想いを同じくする寺院が集結し発起人会が発足。機運は一気に高まり、再興は約1年先となる平成17年(2005年)4月と定まりました。
しかし、大きな問題が残っていました。長い歳月の間にかつての札所のいくつかが移転や廃寺となるなど「三十三所」でなくなっていたのです。発起人会では、数は足らなくても江戸時代の札所に準ずるか議論をかさね、33カ寺にするべく、新たに数カ寺を加えることに決定しました。
この33という数は、観音さまがこの世を救うために変化される数。観音霊場ならば、やはり外せないポイントなのです。
そして今度は京都市内の由緒正しい観音さまを大捜索。お三方は知人友人からの情報に加え、インターネットやガイドブックも参考にしながら照会と参加への説得を続け、お寺によっては、スカウトの "突撃訪問"も行われたのだとか。大変な努力の甲斐あって、再興の日の間際に、ようやくすべての札所が整いました。
こうして、立ち上げから2年間苦労を重ねた末に、平成17年(2005年)4月4日、当山本堂にてすべての札所が一堂に会した復興法要が営まれ、ついに「洛陽三十三所観音巡礼」がスタート。百数十年ぶりの再興は、マスコミで報道され大きな反響を呼びました。
事務局を務められる東向観音寺では、翌日は朝から電話が鳴りやまず、1日に80件を超えるお問い合わせがあったことも。お参りの方も続々と来られ、対応に追われる日々が続いたそうです。しかし、再興に情熱を傾け、京都中を奔走されたお三方にとって、忙しいほど喜びは一層大きくなったに違いありません。
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