寺、坂、我が家は一つ。最強のサポーター「清水寺門前会」(2014.0303)
「お寺の災難は私たちの災難!」ピンチが生んだ固い絆
寄進の新梵鐘。大きさや形はもちろん、音色も変わらぬよう復元されています。
お店の宣伝にはしたくない。という意向のもと寄進者個人のお名前が刻まれました。
平成20年(2008)4月20日、土型から起こし、3年がかりで作られた梵鐘が鐘楼に収められました。
20周年の記念の式典も盛大に行われました。
当山の創建から「清水寺門前会」もまた古い歴史をもっていると思われるかもしれませんが、実は誕生して約30年と最近です。もちろん大昔から門前にお店はありましたが、一緒に何かを行うといったことはなく、昭和の中頃までは「閑古鳥が鳴く」ほど参詣者が少ない時期もあったそうです。
清水寺門前会が結成されるきっかけとなったのは京都市が昭和60(1985)年に施行した古都保存協力税でした。拝観者に税を課すことに反対した当山はやむなく拝観停止に踏み切りましたが、その時、門前にお店を構えるおよそ40件の有志の方々が、自分たちの商いも苦境にある中で「お寺の災難は私らの災難や。お寺を守れ!」とお布施を集め、交渉に対峙し、当山と一緒に苦難に立ち向かってくれたのです。
その後、古都保存協力税は約2年で廃止となりましたが、この時のメンバーを中心とした清水寺門前会と当山が結んだ固い絆が変わることはなく、平成元(1989)年の開創千二百年記念事業、平成5(1993)年の夜間拝観の開始、平成12(2000)年には9か月間というかつてない長さの御本尊御開帳の実施といった大きな事業を、ともに汗を流して乗り越えてきました。
仁王門をくぐって左手の鐘楼に清水寺門前会寄進の梵鐘があります。「会の創立20周年の記念に、お寺のためになるものを」という申し出により新調された梵鐘で、室町時代から530年もの歳月を経た古い鐘から平成20(2008)年に架け替えられました。これまでとあまり音色が変わらないように、余韻がより長く続くようにと細やかな配慮や工夫が凝らされていて、その音色は大晦日、境内に美しく響いています。
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