知られざる清水寺
知られざる清水寺
成就院 維新の足跡
古寺は語り部だ。
その口ぶりは雄弁ではないけれど、目を凝らし耳を澄ませばかつてこの場所で起きた出来事をはっきりと聞かせてくれる。
堂塔伽藍の小疵、色褪せた仏像仏具。そのすべてに先人が織り成した物語がある。
仁王門を通り成就院参道(※1)を歩くと、山肌にずらりと並ぶ石仏群に出会う。その数にも驚くが、地蔵菩薩、観音菩薩、阿弥陀如来、釈迦如来、大日菩薩など多種多様な仏が混在する風景は圧巻。よく見ればつくられたであろう時代や彫像の趣きもさまざまだ。
これらは、明治初頭に起きた廃仏毀釈運動(※2)によって行き場を失った石仏が運び込まれたものだ。当時の仏教排撃は苛烈を極め、多くの寺が廃寺に追い込まれた。仏像は破壊され、京都の街には数えきれないほどの石仏がうち捨てられたという。
この「千体石仏群」は、石仏が壊されるのはしのびないと信仰篤い市民によって清水寺に運び込まれたものなのだ。地蔵菩薩が多いのも納得。地蔵信仰が根強い京都ならではのことだ。かつてはそれぞれの町内で「お地蔵さん」として親しまれていたものだったのだろう。そして、石仏にかけられているまだ新しい前垂れから、現在も篤信の方々によって信仰され続けていることがわかる。
ふたりの勤王僧
石仏群のそばを通り過ぎると、「月の庭」で名高い成就院書院の玄関があらわれる。
成就院は、応仁の乱で全焼した清水寺を建て直す際に願阿(※3)上人の住房として建てられた「本願院」が前身だ。清水寺の財政や渉外、堂塔伽藍や寺宝の維持管理などを司る本願職の塔頭だけに堂々とした佇まいと幽閑な風趣を併せ持つ。
数ある清水寺塔頭のなかでも格段に人気が高く、特別拝観の際には多くの参詣者で賑わう成就院だが、ここには激動の時代に翻弄された人々の物語が残されている。
長く続いた徳川の世が終焉を迎え、この国が近代化への道程を歩み始めた幕末。成就院第二十四代住職、月照(※4)とその弟で第二十五代住職信海(※5)は勤王攘夷派の志士たちと連絡をとり密議を重ねていた。そのメンバーはじつに豪華。左大臣近衛忠熙をはじめ青蓮院宮門跡尊融法親王、薩摩藩の西郷隆盛、鷹司家家臣、水戸藩士などまさに幕府と相対する重要人物が登場してくるのだ。
僧であるはずの月照と信海がどのような理由から勤王攘夷運動に挺身するようになったかは定かではない。ただ、清水寺振興のために近衛家や宮家のバックアップを願って、和歌と書に熱心だった月照は当代一の歌人といわれた近衛忠熙に早くから師事して親交を結んでおり、その交わりのなかで勤王攘夷へと傾倒したのではないかと考えられる。
もちろん密議が発覚すれば処分は免れない。幕吏の踏み込みや盗聴をなによりも警戒する月照たちにとって、成就院内の廊下が鶯張り(※6)だったことは大きな安心をもたらしたことだろう。
しかし、安政の大獄によって勤王攘夷派の粛正が始まると幕府からマークされていた月照もついに京都を離れざるをえなくなる。上京していた西郷隆盛に守られて九州へと向かった月照だが、薩摩藩内勤王派の理解者だった藩主、島津斉彬の急逝によって西郷もまた窮地に立たされてしまった。
幕府の意向を受けた薩摩藩は月照の受け入れを拒否し、西郷に月照を領地から追放するよう命じた。そして、いずれ処刑される運命と悟った西郷は月照の鹿児島の隠れ家を訪れ、用意した船で錦江湾に漕ぎ出し、抱き合いながら身を投げたのだ。
救助の甲斐あって西郷はなんとか息を吹き返したが、月照はそのまま帰らぬ人となってしまった。
時を同じくして、兄の後を継いで成就院の住職をつとめていた信海も攘夷祈祷をおこなったとして捕縛され、江戸で獄死。月照四十五歳、信海四十一歳。波乱の生涯を過ごしたふたりの勤王僧の幕引きだった。
いま、本坊北総門の北側には月照と信海の辞世の句を刻んだ碑が立っている。
また、同じく並ぶ碑には入水から命を拾い、その後維新の立役者となった西郷が月照の死を悼んで捧げた弔詩が刻まれている。
国の行く末を案じ、幕末を懸命に生き抜いた男たちの足跡だ。
今も息づく名残
月照らの名残はほかにもある。
現在も境内で営業を続ける「舌切茶屋」と「忠僕茶屋」だ。
舌切茶屋は、月照を支え続けた友人であり成就院役人をつとめた近藤正慎の子孫が営んでいる。月照の九州逃避行を助けた嫌疑で投獄された近藤は一切を黙して語らず、ついには舌をかみ切って自決した。このことが店名の由来となっている。
また、忠僕茶屋は幼少時から月照に仕え、九州にも同行した大槻重助の子孫が営む。月照の入水後に投獄された大槻は釈放されてから境内の茶店を買い取り、月照、信海の墓守を続け、西郷隆盛の援助もあって茶屋営業の権利が保証された。現在にいたるまでその家系によって営業が続けられている。
1200年を超える歴史のなかで、清水寺はどれほどの物語をみてきたのだろうか。参道に落ちる小石ひとつ、若葉繁る樹の一本にも先人の苦悩や喜びがあるような気がして、この広い境内を歩くにはいくら時間があっても足りない。