筆跡に込められた先人たちの想い

筆跡に込められた先人たちの想い

良慶和上のお人柄、その書

− 巡錫と書に勤しまれた和上の生涯を清水寺 貫主、森清範が振り返ります。

清水寺貫主 森清範

良慶和上のお人柄を簡潔に表現するならば「精進」という言葉に尽きます。いつも背筋を正し、誰よりもご自身に厳しい方でした。長くお側に仕えさせて頂きましたが、気を緩めておられる姿はほとんど記憶にありません。

和上は晩年になっても時間さえあれば自ら墨をすって書の手習いをされていました。墨が少なくなれば水を足し注ぎ、薄墨で筆を進めておられました。「練習に和紙はもったいない」と包装紙の裏にびっしりと書き込んでおられていたことが印象に残っています。 『風光千里』※の書は良慶和上が109歳の正月に揮毫されたものです。和上はそれから約ひと月後の2月15日に入滅されました。晩年の和上は白内障で視力をほとんど失っておられましたが、そのようなことをまったく感じさせないとても力強い筆致です。「風と光は遥か先へと届く−」と心眼でしたためられたことを思えば胸が打たれます。落款には「良慶百久」としたためられています。109歳にかけて「百を超えて久しい」とは和上らしい茶目っ気ですね。

また、成就院に掲げられている『白雲心』※は和上が103歳のときの書です。雲のように何事にもとらわれない悠然自若の心境がしたためられています。左へと向かい上がっていく筆致に、晩年ますます意気軒昂だった和上のお姿が思い出されます。

和上が入滅されて33年が経ちました。かつて和上が使っておられた筆や硯を拝見しますと、今もすぐそばで和上のお元気な声が聞こえてくるような気がします。

「人間社会は複雑。だからこそ、仏教があるんや」と困った方々を助けるため、仏さまの教えを説くために、いつも駆け回っておられた和上の生き方は、仏教者としてのお手本です。