清水寺の寺宝

Kiyomizu-dera Temple Treasures

秘仏十一面千手観音立像

清水寺の観音信仰の中心となる本堂(国宝)は、正面約36メートル、側面約30メートル、棟高18メートル。檜皮葺の曲線が美しい起り反り(※1)屋根が象徴的な寄棟造(※2)の巨大建築だ。外観をはじめ構造の随所に平安建築の様式を取り入れ、かつて平安貴族たちが暮らした寝殿造の趣を今に伝えている。

錦雲渓に建つ舞台の北側には、板張りの廊下を挟んで参詣者が手を合わせるための※外陣(礼堂)がある。そして、その奥には内陣(相の間)、さらには内々陣と続く。内陣より先は仏様の世界。きらびやかな荘厳仏具が配され、漆金箔を施した柱で内陣との境界がはっきりと区別されているのも現世とはまったく別の世界だからだ。内陣から先には特別な法要でもないかぎり、僧侶であっても自由に立ち入ることができない。

広々とした内々陣は仏の世界。本尊を奉祀する厨子の前には前立仏が安置されている。

慈悲の心をかたちに

外陣からは仄暗い内々陣の様子は見えづらいが、よく目を凝らすと蝋燭の灯りに照らされた広い空間があらわれてくる。
内々陣の石敷には長く大きな漆塗りの須弥壇が置かれ、その上には三基の厨子(国宝)が祀られている。その中央の厨子に奉祀されているのが清水寺の本尊、十一面千手観音立像だ。本尊は秘仏であるため通常厨子の扉は閉ざされているが、厨子前に安置されている本尊を模した前立仏(※3)でその姿を知ることができる。

大仏師であり、清水寺の信徒総代でもあった故西村公朝氏の調査によると、本尊は像高173センチ、光背から台座までの高さは約260センチ。桧材の寄木造(※4)で漆や彩色を施さない素地仕上げ、白毫(※5)には水晶がはめられており西村氏はこれらの様式から鎌倉中期の作と推定している。清水寺に残されている記録から推測すると、おそらく創建以来の本尊は災禍で失い、現在の本尊は1220年頃に再造したものだと考えられる。
大人の背丈ほどもある十一面千手観音立像は、向かい合う者を優しい空気で包み込む。四十二の手と、十一の表情をもって一切衆生を救おうとするその大きな慈悲は、厨子前に安置されている前立仏からも感じることができる。

本尊を写した前立仏から「清水型」千手観音の姿をうかがい知ることができる。

独特の姿をした「清水型」千手観音

その慈悲心の象徴ともいえるのが、手のかたち。
一般的な千手観音像とは異なる姿だ。
「お前立からもわかる通り、清水寺の十一面千手観音像は両脇左右上方の腕を頭上に伸ばし、釈迦如来像形の化仏を両手で捧げ持っています。このお姿は『清水型』と呼ばれ清水寺独自のものですね。同じ清水型の千手観音像は各地に存在しますが、いずれも清水寺の本尊をうつしてつくられたものです」と解説してくださるのは清水寺学芸員の坂井輝久さん。

十一面千手観音像が正面で合掌する真手の二臂(手)のほか、数珠や宝鏡、宝弓などの持物を持った四十臂にはそれぞれ25の法力が宿るとされている。つまり、40×25で千手をあらわしているのだ。そもそも千手の「千」とは無量・無限を意味し、観音の大悲利他があらゆる方法を使い、どの方面へも行き届くことを指している。

「十一面の表情にも注目してください。優しげな本面と頂上面に加え、前方には穏やかな慈悲三面、後部には大笑いをしている大笑面があり、いずれも観音さまの慈愛をあらわしています。また、右方の狗牙上出三面はむき出しの牙を、左方の瞋怒三面は激怒の表情を見せていますが、これらにはいずれも衆生の悪行を改めさせ、努力する者を励ます意味があります」

坂井さんは「この御本尊は観音様を信仰する人々の、強い救済への願いがかたちにあらわれたものなのでしょう」と話す。
清水寺の本尊を直接目にすることができるのは33年に一度。次に開帳がおこなわれるのは2033年の予定だ。
「33年ごとのご開帳は遅くとも江戸時代中期には定着していたと考えられています。今も昔も多くの人が待ち望む一大イベントだったんです」と坂井さんは、本尊が安置される厨子を見上げながら話を続ける。
「この『33年』という周期にもちゃんと観音さまに因んだ意味があるんですよ」

33年という周期に込められた意味。それは、観音経(※6)に記されている観音菩薩の功徳に由来する。「観音さまはその姿を自在に変化させることで一切衆生を災厄から救うとされ、その数が三十三身なのです。清水寺の秘仏である御本尊を33年に一度のご開帳としているのはこのことにちなんでいるのです」
生きとし生けるものすべてを救うため、ときには人間や龍などにも変化するという観音菩薩。慈悲の象徴としてあらゆる災厄に応じるために臨機応変に姿を変えるのだ。
「清水寺以外にも本尊のご開帳を33年ごとに定めている寺院は多くあります。また『西国三十三所霊場』などの名称にもあらわれているように、観音信仰にとって33という数字は特別なものなのです」清水寺では幾度もの災火で創建以来の資料の多くが焼失しているため、33年に一度のご開帳がいつから始まったかは定かではない。しかし、1773年(安永2年)に30数年ぶりのご開帳がおこなわれたことが記録に残っており、以降は33年ごとのご開帳が繰り返し続けられてきたことがわかっている。
 「ご開帳について書かれた古い資料には、ご本尊をひと目見ようと全国から多くの参詣者が清水寺につめかけていた様子が記されています。今と変わらず皆が待ち望んでいた一大行事だったんですね」

本尊は御正体でいつでも拝める

秘仏である本尊を普段目にすることはできないが、その代わりとなるのが外陣正面の欄間に掲げられている懸仏(※7)だ。
「この懸仏は『御正体』ともいい、円形の銅板に本尊がレリーフで施されているものです。直径2メートルと大きく、清水型十一面千手観音の特徴がわかりやすく表現されているため、本尊のお姿をよく知るには最適です。また、中央の本尊とともに、左右には脇侍の勝軍地蔵と勝敵毘沙門天の御正体が並んでいますので、秘仏である三尊像のお姿はすべてこちらで拝することができます」
この御正体は、多くの信仰を集める「清水寺の観音さま」をより身近に、いつでも拝むことができるようにとつくられたものだろう。本尊が祀られた厨子前に安置されている御前立仏とともに、ご開帳時以外の日常では、本尊に代わって多くの参詣者が手を合わせている。

荘厳仏具で彩られた内陣。やわらかな空気感が人々を包み込む。